日本地球惑星科学連合メールニュース 4月号 No.307 2018/04/10
┌┐
└■ 1.巻頭言
公益社団法人日本地球惑星科学連合 会長 川幡穂高
4月は入学・進学のシーズンです.地球惑星科学関連学科等にも新しい学生さんが入ってこられ,将来の活躍が期待されます.学部生の連合大会の参加料は無料となっておりますので,ぜひお誘い下さればと思います.今月は「University」「カレッジ」「アカデミー」「研究と教育の一本化」「大学院」をキーワードとして,大学の変遷についてご紹介したいと思います.
「大学」はUniversityの日本語訳ですが,最古の大学は,北イタリアのボローニャで神聖ローマ帝国皇帝の特許状が下された1158年に始まりました.次に古いパリ大学の場合,多少形態が異なるものの,教皇の勅書より1231年に設立されました.これらの設立の時代背景として,ヨーロッパにおける10世紀頃からの農業生産の上昇と余剰産物による広域的な経済交流の活発化や都市の発達が挙げられます.それに伴い,様々な法的処理が必要となってきました.大学の語源は,スペルが似ているので universal(普遍性,宇宙に関連するさま)などと関係していると思われている方がおられると思いますが,間違いです.ラテン語の「universitas」を起源とし, 利害を共有する学生の「ギルド(組合)」が起源です.「カレッジ」も教師の組合を指す言葉として出発しました. その後,「universitas」は「学生と教師の団体」という意味に変化しました.
法学者が私塾を開いて始まったボローニャの場合,各国から集まった学生は,下宿代の値上げ反対なども含め,市民や市当局に対して自分達の権利を守る必要がありました.中世の大学は建物を持たなかったので,授業は教会や家などで行われ,市当局などに不満があると全員が別の都市に移動してしまうこともあったそうです.「移動+思考の自由」を持った知識人が大学の特徴となり,使用言語はラテン語で共通化されていました.急速に発展した大学ですが,14世紀になると社会の衰退,教会の分裂,修道会の下請け機関となる場合もあり, 17世紀には「universitas」は衰退し,このタイプの大学は事実上の終焉を迎えました.
16世紀にグーテンベルグによる印刷術が発明されました.この影響は多大で,知識の創造の担い手は「学生」から「本の読者」に変化しました.さらに,人文主義者や自然科学者による新しい知の創造に際し,従来の「大学」とは異なる制度が要請され,新興の有力者の保護の下「アカデミー」が新しい科学の担い手として登場しました.
19世紀になると,現代につながる「大学」,言語学者で政治家でもあったフンボルトが骨格を作ったベルリン大学が設立されました.この特徴は,それまでの教育中心の大学の核心部に,ゼミナールや実験室といった「研究」志向の仕掛けを導入したことです.講義と演習,論文指導といった基本構造が19世紀にドイツで作られました.一方,新大陸のアメリカでは,裕福な家庭の子弟を「紳士」に仕立てるハイスクール的な寄宿舎大学が,田舎に建設され,定番的な授業が行われていました.ドイツと並ぶ水準に大学のレベルを上げるべく,1876年に高度な研究型教育を旨とする「大学院」がジョンズ・ホプキンス大学に作られました.ここでは,「紳士」でなく最先端の「研究者」を育てることが本務となり,大学教授も「教師」から第一線の「研究者」たることが要求されました.
日本では1840年以降,緒方洪庵などによる洋学塾が開かれ.手当たり次第に西洋の知識を吸収していく福沢諭吉などの熱心な若者が増えていました.最初の官制の東京「大学」は,ヨーロッパの大学を手本として1877年に設立されました.学部は4部体制(法医文理)で,1886年には工学部が,数年後には農学部が創設されました.国の役に立つ教育訓練を重視した実学志向でした.その後,「帝国大学」や「私立大学」が各地に建設されましたが,その使命は「国民を強くする」ことにありました.
今年(2018年)は,明治維新(1868年)より150年です.現在,大学では,運営費,研究費,教育内容,実学重視,若手人材の就職など様々課題が山積みとなっています.今後,JpGUでは,日本学術会議の提言を,「地球惑星科学分野」の特徴に則して,より具体的に現状と将来の課題として深く捉えていきたいと考えております.今回のまとめには,吉見俊哉先生の「大学とは何か」を参考にしましたが,とても充実した内容の本なので,皆さまにもお勧めしたいと思います.