日本地球惑星科学連合メールニュース 9月号 No.315 2018/09/10
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└■ 1.巻頭言
公益社団法人日本地球惑星科学連合 会長 川幡穂高
今年は猛暑の真夏でしたが,最近は朝晩は涼しくなってきました.来年の日本地球惑星科学連合大会のセッション提案受付が開始されました.提案締切は10月12日(金) 17:00です.セッションは大会の根幹をなすものです.ご提案よろしくお願いいたします( http://www.jpgu.org/meeting_2019/ ).連合大会は,JpGUのシニア会員の方々にも大勢参加していただけるよう,シニア会員は「参加費無料」となっています.もうすぐ「敬老の日」を迎えるにあたり,今月の話題は「年齢の高い方の活躍」にしたいと思います.年齢を重ねてから,新しいことを始めて活躍されている方が多くいらっしゃるのも事実です.
世界で一番有名なおじいさんは,「KFCのカーネル・サンダース(Harland David Sanders)」 ではないでしょうか.彼は幼少期に父親を失くし,苦労の連続で,30代後半にガソリンスタンドなどを経営しましたが,会社も倒産してしまうなど波乱万丈の人生を歩みました.実は「フランチャイズ」という新しいビジネスモデルを創始したのは「カーネル爺さん」でした.オリジナルフライドチキンの製法を49歳の時に導入し,フランチャイズを始めた時はすでに62歳で,日本に進出した時には80歳になっていました.90歳で亡くなるまで多くの慈善活動を行うなど,世の中に勢力的に尽くしました.現在全世界で約2万店舗が展開されています.
誰でも知っているハンバーガーチェーン「マクドナルド」の創設も似ています.もともと「マクドナルド」は「マクドナルド兄弟」により始められました.兄が46歳の時に新しい製造法とセルフサービスを提供したドライブインストアが第一号店です.その後,この方法が画期的だと評価した「レイ・クロック」が経営権を買い取り,事業を拡大しました.53歳であった兄弟は経営からは手を引きましたが,同社の親善大使として活躍しました.一方,「レイ・クロック」は81歳まで生きて,世界最大のファーストフードチェーンに事業を育てました.
日本人でも年をとってから新事業で成功した人が沢山います.あるアンケートでは,日本が昭和の時代に生み出した発明のトップに「インスタントラーメン」が挙げられました.2016年には世界で約1000億食の需要があったそうです.「チキンラーメン」が最初の「インスタントラーメン」です.これは「安藤百福」により,自宅の裏庭の小屋で誕生しました.同時に日清食品も産声をあげました.その時,彼は48歳でした.96歳まで元気に活躍したそうです.
最後になりますが,私達の分野にも関係の深い方として「伊能忠敬」を紹介しましょう.1745年に千葉県九十九里町に生まれました.若い頃から有能であったため,伊能家の婿養子となりました.彼の活躍した時代は,天明・天保の飢饉で代表されるように,寒い気候により農作物の不作なども経験しましたが,彼は商人として成功しました.49歳で隠居し,もともと興味があった暦学を江戸で深めることになりました.その後,測量にも携わり,10回にもわたる調査を行い,74歳まで生きました.弟子たちは力をあわせて,彼の死後,『大日本沿海輿地全図』と名づけられた地図を1821年にようやく完成させました.
年齢を重ねるにつれて,新しいことを始めるハードルが高くなる,と一般に言われますが,寿命も長くなり,活躍できる時間も長くなったはずです.「手塚治虫」は,漫画賞の審査員を途中から辞して,最後まで現場で執筆活動に専念したそうです.「若い人に頑張ってもらえれば」などと遠慮されることなく,末長くご活躍くださればと思います.最後になりますが,上にご紹介した4名の方は皆長寿でした.健康に留意して暮らすことも,大成功の一要因だと言われています.