日本地球惑星科学連合メールニュース 8月号 No.327 2019/8/9
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└■ 1.巻頭言
公益社団法人日本地球惑星科学連合 会長 川幡穂高
梅雨明けは遅れましたが,毎日とても暑い日が続いています.8月になると広島・長崎の原爆記念行事,終戦記念日などを迎え,「平和の意義」について考える機会が増えます.2017年の連合大会では,「防衛装備庁」の「安全保障技術研究制度」による「基礎研究の公募」に関するユニオンセッションを開催しました.平和目的が完全に守られるなら研究資金の区別をしなくてもよいとの意見,すべての科学技術は民生にも軍事にも転用できるので厳しく制限すべきであるとの見解などが表明されました.関連した「日本学術会議の声明(2017年3月24日)」を尊重し, 学問の自主性・自立性と成果の公開を重視することが当面のコンセンサスとなりました.一方で,「平和の尊さ」を皆が共有しているものの,分野,所属機関,世代間などで考え方に大きな幅があることも明らかになりました.
太平洋戦争の終戦は1945年ですが,当時の日本政府が,合理的な精神を欠いていたことはデータを見てもわかります.アメリカ合衆国の一人当たりのGDPは日本の2.5倍もありました.日本は生活水準の指標であるエンゲル計数が48% と貧しかったにも関わらず,軍備に多大な支出をしてきました.大正生まれの男子の20%以上が戦死しました.現在の日本は,GDPやエンゲル計数(25%)指標を基にすると豊かな国となり, 戦後70年間,国際紛争を含めて軍事力を行使しなかった5つの国の1つとして「平和国家」を維持してきました.
「戦争につながる暴力は人間の本性で,それを抑えるためには,より強い暴力を用いなければならない」(「キラーエイプ(killer ape)仮説」と呼ばれる)との考えが一部で流布しているので,誤解を解いておきます.この考えは,第二次世界大戦の終了直後に世界に広がりました:「人類は長い進化の歴史の中で狩猟者として成功し,獲物を捕らえるために用いた武器を人間へ向けることによって戦いの幕を開けた」「戦闘は人間の本性」.この説は南アフリカで人類の化石を発見したレイモンド・ダートによって提唱され,その後,ノーベル賞受賞者で動物行動学者のコンラート・ローレンツによりその説が後押しされました.ちょうど第二次世界大戦を経験した後だったので,世界に急速に普及しました.
しかし,その後の科学的事実は全く逆のことを意味していました.アウストラロ・ピテクスの最初の発見者であるダートは,人類化石の頭骨の受傷は人間の戦いによるものとしましたが,実際にはヒョウに殺された痕でした.そもそも,初期のヒトは雑食で,狩猟者ではなく,逆に肉食獣に狙われる存在でした.いわゆるヒトがヒトを狙う武器を手にしたのは,農耕の開始以降で,世界では約10,000年前(日本では約2,500年前)のことです. さらに,狩猟・採取の縄文時代が「平和」であったことは受傷データからも支持されます.受傷人骨とは乱闘が起こった時に傷ついた骨を指します.縄文時代の2,582点の人骨のうち受傷痕跡から暴力による死亡率を求めると,わずか1.8% でした.吉野ヶ里遺跡を代表とする弥生集落では,大人の受傷人骨の割合は約4%と,縄文時代に比し2倍以上に高くなりましたが,ヨーロッパの中石器時代の値とほぼ同じでした.ニュースを見ると,世界中で争いが多発しているように見えますが,これはヒトの出現以来の440万年間の歴史の中で,つい最近の出来事です.ゴリラのオス同士の衝突の際,力の弱いメスや子どもが仲裁することもあります.力で屈服させることが,平和の手段とはなっていません.
JpGUでは,地球惑星科学の行動規範(Geoethics)の議論を開始し, 前述した学術会議の声明の内容を,地球惑星科学の分野の中でも深め,「平和」にも貢献していきたいと考えています.