日本地球惑星科学連合メールニュース 9月号 No.328 2019/09/10
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└■ 1.巻頭言
公益社団法人日本地球惑星科学連合 会長 川幡穂高

 9月になり,朝晩はずいぶん涼しくなってきました.来年の大会は,JpGU-AGU共同開催なので,英語セッションの提案をお願いしています.今回は,日本人が千年間かけて外国語を克服した話題を提供したいと思います.
私達は文字を使用し情報を伝えてきました.最初の文字はメソポタミアで誕生し,実用的なメモとして使用されました.東アジアでは殷(正式名は商)で,象形文字である「甲骨文字」が紀元前1200年には使用されていたようです.日本での最初の文章の記述は『古事記』(712年) となります.
三国志の諸葛孔明が亡くなった数年後(238年頃),倭国の使者が魏の皇帝に朝貢しました.『魏志倭人伝』によれば使節の派遣者,倭の女王の名前は「卑弥呼」(「ひみこ」と発音したのかは不明)でした.当時,中国では天子を頂点とする国家体制を最上と考え,異民族は東夷・南蛮などと呼ばれました.表意文字である漢字は,良いイメージをもつ好字と,逆の卑字があります.「卑」や「倭」は卑字に属し,「倭」は「萎縮,矮小」,後世に日本人を罵る時の「倭寇」にも通ずる字でした.日本人の祖先は漢字を勉強し,「倭」から「和・日本」に切り替えていきました.『旧唐書』には,「倭国はその名が優雅でないのを嫌って日本と改めた」と記されています.国内向けの国号はヤマト(大和)で,これは村々で,神の降臨した聖地に神社を建て,それが山の入口「山戸(ヤマト)」であることに由来します.
日本での文字の使用は,奈良時代に荷札の木簡に書かれた実用的な文字を中心に始まりました.しかし,抽象的な漢字は,東大寺を総本山として全国に建造された国分寺・国分尼寺から村々の寺へと,ネットワークを通じて広まりました.これは約千年間を経て,「寺子屋」へと進化し,日本の識字率の向上に貢献しました(日本地球惑星科学連合メールニュース2016年12月号巻頭言:http://www.jpgu.org/publications/mailnews/mailnews-1465/ ).
鎖国をしていたものの,江戸時代の知識人は純正漢文を読めたので,中国から漢籍を輸入し,貪欲に知識を吸収しました.1774年に出版された原著オランダ語の「解体新書」は,日本語訳でなく漢文で書かれています.武士の子供は中国の古典を学ぶのが日課でした.幕末には,農民やヤクザの親分も漢文を学びました.
このようにして,知識人は漢語をマスターしました.漢語は元来中国人の言葉ですが,明治に入り,日本は漢字を借用し,近代の西洋の概念を表現しました.そして,「科学,憲法,民主主義,権利・義務」などの新漢語が日本で誕生しました.そして,それらは当時日本に留学していた中国人により中国国内で広まったそうです.これら日本でつくられた新漢語は,社会科学技術の「高級語彙」全体の65%程度に上ると,中国社会科学院の李兆忠先生が発表しています.すなわち,これらの言葉は,漢字を輸入して以来,千余年間を経て,中国へ恩返しとして逆輸出されたようです.ちなみに,地球惑星科学は,中国では「地球・行星・科学」となります.
現在,理科系の論文の多くは,英語で表現されています.来年の大会は,JpGU-AGU共同開催ということもあり,海外からの研究者も多く参加されますので,ぜひ英語での発表を促進していただければ幸いです.
最後になりますが,日本列島から出土する「最古の漢字の遺物」は何でしょうか?それは,佐賀県吉野ヶ里遺跡の紀元前1世紀の甕棺(かめかん)墓中の鏡に書かれた文字でした.「久不相見 長毋相忘」(長い間会えなくとも,いつまでも忘れないでね!)というロマンチックな言葉だそうです.持ち主が内容を理解していたかは不明です.来年の共同開催に向けて以下の言葉を付け加えたいと思います.「希望我们可以在明年的JpGU-AGU的幕张会
场见面」(日本語訳:来年,JpGU-AGU共同開催の幕張会場でお会いしたいものです!」